なんばの戎橋筋商店街400年の歴史、街の歩みをたどる

戎橋筋商店街の「戎橋筋」という道は、いつからあるのでしょうか。また、いつ商店街になり、老舗はいつから続いているのでしょうか。

ここでは、戎橋筋400年の歩みをたどってみましょう。

目次

江戸時代の初め~道頓堀ができたころ

1600年ごろに描かれた絵には、道頓堀川と戎橋がすでに登場しています。しかし、橋を渡った先には建物が少しあるだけで、その先は雑木林と道が続いていました。このころ、戎橋筋の周辺はまだ田畑が広がる場所でした。

秋里 籬嶌著「摂津名所図会 4下_芝居街道頓堀」(1796刊)大阪市立中央図書館蔵

1612年、商人の成安道頓が、豊臣秀吉の許しを得て、大阪城の外堀と大阪湾をつなぐ川を掘り始めます。しかし工事の途中で「大坂の陣」が起こり、道頓は戦死します。その後、徳川方の松平忠明が工事を再開し、まもなく完成。こうして道頓堀川が誕生しました。

川の完成とともに周辺の開発も進み、南側(現在の道頓堀)には芝居小屋や飲食店が並び、戎橋も架けられました。

このころ、戎橋筋の北側では和菓子店「橘屋寿永」が開店します(現在はベルスード橘屋ビル)。また、薬店「杏花堂成見屋薬舗」もこの時期に開業し、現在は「ナルミヤ戎橋画廊」として続いています。

菓匠・橘屋寿永 戦前の店舗の様子 橋本敏良氏所蔵

江戸中期~幕末 戎橋筋のにぎわいが広がる

道頓堀には芝居小屋が立ち並びました。近松門左衛門、竹田出雲といった人形浄瑠璃(人形を使ったお芝居に、語り(セリフ)と音楽を組み合わせた日本の伝統芸能)の作者が活躍し、今の文楽につながり、その演目は今も歌舞伎などで演じられています。

秋里 籬嶌著「摂津名所図会 4下_竹田芝居」(1796刊)大阪市立中央図書館蔵

18世紀初めには、大阪城の城下町から移ってきた人々で町が南側に広がり、戎橋を渡る人の流れもどんどん南へ伸びていきます。

また、華やかな「宝恵かご行列」というお祭りも始まり、現在も続いています。その頃のまちのにぎやかな様子を描いた絵が、戎橋の欄干に貼られている銘板に見ることができます。

絵本二色市・絵本十日戎下巻(1750・寛永3)肥田晧三氏所蔵

18世紀末から幕末にかけては、開発が現在の難波センター街を超えて、現在の難波3丁目にあたりまで広がります。こうして、ひと続きの商店街が形づくられていったのです。

戎橋筋の南側には、江戸幕府が飢饉に備えて1732(享保17)年に作った備蓄庫(御蔵)もありました。明治時代を迎えると、この場所に現在の南海なんば駅が建設され、日本で最初の私鉄が開通します。

こうして戎橋筋は「駅前の商店街」として、さらににぎわいました。

昭和4年の南海なんば駅と周辺

明治から大正~近代的な商店街へ

明治になると、戎橋は木の橋から鉄の橋へ変わります。橋のたもとにはガス灯も設置され、まちは近代化していきました。

また、現在のTOHOシネマズなんばの場所では、日本で初めて「お金を払って映画を見る」上映が行われました。そのことを書いたレリーフが、映画館の1階奥に設置されています。

南地演舞場 映画興行発祥の地

その後、ミナミに大火災が起こり、防火のため千日前通が広がったことで、商店街は南北に分かれてしまいます。

これに危機感を持った商人たちは「戎橋筋聯合会」をつくり、近代的な商店街組織が誕生したのが2013(大正2)年のことでした。

難波新地より火元を望む明治大正昭和の大阪写真集3(1912年)大阪市立中央図書館所蔵

明治時代に戎橋筋商店街に出店して今日まで商いを続ける店々を見てみましょう。

「岸田呉服店」は商店街に来る前は織物商として1811(文化8)年に創業しています。河幸商店は和装小物店から商いを替えて今はレディース専門店「かわこ」に。

蒲鉾の「大寅」は上質な鱧(はも)を使った天ぷらが親しまれています。昆布の「をぐら屋」が創業した1848(嘉永元)年は坂本龍馬が11歳の時です。紙商せのやは商いを変え、現在は「なにわ名物・いちびり庵」の屋号で、大阪ならではの土産物を扱っています。

昭和初期の大寅蒲鉾 大寅蒲鉾所蔵

大正時代には、戎橋は石とコンクリートの橋へと変わり、大阪松竹座などの劇場や映画館も集まりました。道頓堀・なんば・千日前は、日本を代表する「娯楽のまち」になります。

この頃、戎橋筋商店街に出店したお店は、「珍味屋」が今も変わらぬ製法で天津甘栗を提供しています。「丹青堂」は書画材料を扱うお店です。「髙島屋大阪店」も出店、日本で初めて全館冷暖房を備え、大きな注目を集めました。

戎橋筋は「伝統」と「最先端」が共存する場所になりました。

大阪・南海高島屋全景/七階サロン大食堂/一階雑貨売場/四階呉服サロン 大阪名所絵葉書帖[1930] 大阪市立中央図書館所蔵

戦災から1970年大阪万博~商店街の復興

第二次世界大戦では、1945年の大阪大空襲で街は焼け野原になります。しかし戦後の復興は早く、地下街やアーケードが整備され、再びにぎわいを取り戻します。

1970年の大阪万博の時代、若手経営者たちが新しいイベントを始め、商店街は「楽しむ場所」として広がっていきました。

戎橋筋商店街北口 戎橋筋商店街所蔵

戦後間もない時期に商店街で開店した、「551蓬莱」、「蓬莱本館」、アイスキャンデーの「北極」、「ジャガーカバン店」、「リラ洋装店」があります。

また、1980年前後にマクドナルドやファーストキッチンも登場し、世代を超えて親しまれる商店街になりました。

1970年頃の551蓬莱 株式会社蓬莱所蔵

新しい時代へ

1995年、アーケードが新しくなり、キャラクター「えびたん」が誕生します。2006年にはなんばマルイやTOHOシネマズが開業し、都市型の商業空間へと進化しました。。

商店街に面して校門のあった精華小学校閉校し、現在はエディオンなんば店となっています。施設の東側に精華小学校メモリアルホールがあります。

精華小学校メモリアルホール

2007年には戎橋が現在の形に架け替えられ、2009年には阪神なんば線が開通。2012年には「とんぼりリバーウォーク」も完成しました。

平成の渡り初め

さらに、イベントも変化し、店や街の魅力を体験する「体験博」へと生まれ変わります。アーケード改修では全灯LED照明に変わりました。このころから商店街では訪日客の増加も目立つようになり、戎橋筋は国際色豊かなにぎわいを見せるようになります。

コロナ禍とその後

2020(令和2)年には新型コロナウイルス感染症の影響で、通行者数は一時10分の1にまで減少しました。しかしその後、街は回復し、再び活気を取り戻します。

2023(令和5)年には、なんば広場が完成しました。商店街には「えびたん像」も建立されました。

なんば広場

戎橋筋商店街の400年の歴史は、時代に合わせて変化しながらも、「人が集まり、にぎわう場所」であり続けてきました。

変わってきたものと、変わらず続いてきたもの。

その両方を感じながら、ぜひ戎橋筋を歩いてみてください。

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