なんば戎橋筋商店街400年の歴史、街の歩みと変遷をたどる

戎橋筋商店街の「戎橋筋」という道はいつからあり、いつ商店街となり、老舗はいつ創業したのでしょう。戎橋筋400年の歩みをたどってみましょう。

目次

戎橋筋の原風景と道頓堀開削の時代(1600(慶長~元和)年頃)

1599〈慶長4〉年から1670〈寛文10〉年に描かれた絵巻物に、道頓堀川と戎橋が描かれています。橋を南に渡った西側には水茶屋と記された建物がみえますが、そこから先は雑木林で、道だけが続いています。1600年代の初め、戎橋筋の沿道はまだ田畑が広がる土地でした。

その絵巻物には、戎橋から堺までの道中が描かれており、大坂の中心から戎橋を渡り今宮戎へ向かう道筋はすでにあったようです。

1612(慶長4)年から南堀河(後の道頓堀)」の開削事業が始まりますが、大坂冬の陣、大坂夏の陣がおこり、事業の中心人物であった成安道頓は豊臣方として籠城し、戦死します。大坂城に入った松平忠明は、1615(元和元)年、川の開削工事と川沿いの開発を継続するよう命じ、程なく完成します。

道頓堀川南側で芝居小屋と茶屋の営業が認められた1626(寛永3)年以後、道頓堀の町が一気に繁栄、戎橋は繁華街の開発にともなって架けられたものとみられます。

秋里 籬嶌著「摂津名所図会 4下_芝居街道頓堀」(1796刊)大阪市立中央図書館蔵

そのころ、戎橋筋商店街の最も北側の街区では、菓匠・橘屋寿永が創業しました。現在は「ベルスード橘屋ビル」に建て替わり、当主は十代目にあたります。

菓匠・橘屋寿永 戦前の店舗の様子 橋本敏良氏所蔵

同じくそのころ創業した薬種商・杏花堂成見屋薬舗は、現在「ナルミヤ戎橋画廊」を営んでいます。こちらの当主は十一代目です。戎橋筋には、江戸時代から続く記憶がいまも息づいています。

成見屋薬舗 油野奈那子氏所蔵

芝居町の繁栄と「はっすじ」の成立(1626(寛永3)年~1730(享保15)年)


櫓町(やぐらまち、今の道頓堀)には、芝居小屋が立ち並びました。近松門左衛門、竹田出雲をはじめとする浄瑠璃作者たちが活躍し、その演目は今なお庶民を魅了し続けています。

秋里 籬嶌著「摂津名所図会 4下_竹田芝居」(1796刊)大阪市立中央図書館蔵

その櫓町の南側では、鯨や駱駝といった珍しい動物をはじめ、さまざまな見世物興行も開かれました。そうした場所に、城下町の三つの町が移転してきます。現在のこいさん通りから法善寺門前の道(南地中筋)までが本堺町(現在の難波1丁目6・7番)、その南が本京橋町(難波1丁目5・8番)、さらに南が本相生町(難波1丁目4・9番)でした。

こうして、戎橋を渡って南北に行き交う人の流れが生まれました。花街の芸妓が駕籠を仕立てて今宮戎へ参る宝恵かご行列も元禄期に始まり、今も続いています。戎橋筋は、十日戎の参詣道であると同時に、芝居街、花街、見世物の場を行き来する道筋として賑わいを増していきます。

宝恵駕(かご)行列

1730(享保15)年の『絵本御伽品鏡』には、戎橋を渡ろうとする男性が、吉兆を下げた福笹を肩に担ぐ姿が見えます。この絵は現在、戎橋南詰東側の欄干に設置された銘板の挿絵にも用いられています。

絵本二色市・絵本十日戎下巻(1750・寛永3)肥田晧三氏所蔵

難波新地の開発と商店街の延伸(1764(明和元)年~幕末期)

替地として移転してきた三町の、さらに南側、現在の難波三丁目付近では、町奉行所が歓楽街の開発を進めました。

1764(明和元)年から翌年にかけて、難波新地一~三丁目が開発されます。難波新地一丁目は、千日前の旧竹林寺の東側で、本伏見坂町の南側(千日前1丁目9番)にあたり、二丁目は本相生町の南側から「溝の側」までの間で現在の難波3丁目3~6番とされています。

阪町 法善寺を望む 明治大阪写真集[1868-1912] 大阪市立中央図書館蔵

「溝の側」とは、東の上町台地から難波村へ流れていた水路のことです。現在の千日前通の一本南、難波本通や難波センター街の道筋にあたると考えられています。

やがて時代は幕末へ向かいます。開発はさらに南へ進み、新戎町(難波3丁目2・7・8番地)が生まれました。こうして戎橋筋商店街は、江戸時代初めから幕末にかけて、ひと続きの商店街として形づくられていったのです。

また、戎橋筋を南に出たあたりには、大きな御蔵がありました。これは、江戸幕府が飢饉に備えて1732(享保17)年に設けた備蓄庫です。明治時代を迎えると、難波御蔵跡に難波駅、現在の南海なんば駅が建設されます。戎橋筋はこのとき、ターミナル駅前の商店街という新たな立地を得て、近代のにぎわいへとつながっていきます。

昭和4年の南海なんば駅と周辺

近代都市への転換と商店街の基盤づくり(1878(明治11)年~1911(明治45)年))

戎橋は、1878(明治11)年に木橋から鉄橋へと架け替えられました。絵図からは橋のたもとにはガス灯も設置されていたことがうかがえ、戎橋が近代都市の景観を備え始めていたことを物語っています。

1888(明治21)年には、難波新地五番町の旧豊国神社御旅所跡に南地演舞場が開設されました。ここは芸妓たちの鍛錬の場として用いられました。

南地演舞場

この南地演舞場は、日本で初めて有料で映画を上映した、映画興行発祥の地です。そのことを記したレリーフが、現在も映画館一階奥に設置されていて、阪急東宝グループ創始者・小林一三の名を刻まれています。

商店街の体験イベントで映画興行発祥の地の碑を紹介する様子

1911(明治45)年、この地域は大火災に見舞われます。現在の難波四丁目付近から出火し、折からの強い西風にあおられて、堺筋を越え、高津・生玉まで焼き尽くしたとされます。これをきっかけに、延焼防止のため千日前通は、およそ22メートルへと拡幅され、戎橋筋は南北に分断されることとなります。

難波新地より火元を望む明治大正昭和の大阪写真集3(1912年)大阪市立中央図書館所蔵

商店街の衰退を憂えた商人たちは、結束を強めるために戎橋筋聯合会を設立したとされます。ただし、その成立時期については、大阪商工会議所の報告では1910(明治43)年設立とされる一方、『続南区史』では1913(大正2)年に連合会へ発展したと記されています。少なくともこのころには、戎橋筋において近代的な商店街組織の必要性が強く意識されていたのでしょう。

では、この時期から今日まで商いを続ける店々を見てみましょう。

「岸田呉服店」は、1869(明治2)年に開業しました。そのルーツはさらに古く、西成区木津町で綿布やモスリンを扱う織物商として、1811(文化8)年に創業しています。

和装小物専門店の河幸商店は、1870(明治3)年の創業です。現在はレディース専門店「かわこ」として営業を続け、国内外のミセス層から支持を集めています。当主は五代目です。

また、蒲鉾の「大寅」は、1892(明治25)年に商店街へ出店しました。創業そのものは1876(明治9)年で、現在は四代目に受け継がれています。店頭では、上質な鱧を使った季節の天ぷらも親しまれています。

昭和初期の大寅蒲鉾 大寅蒲鉾所蔵

昆布の「をぐら屋」は、1899(明治32)年に商店街へ移転してきました。もとは船場で1848(嘉永元)年に創業した店で、現在は八代目です。

さらに、明治期に商店街へ出店した紙商「せのや」は、文房具、ファンシーグッズへと業態を変え、現在は「なにわ名物・いちびり庵」の屋号で、大阪ならではの土産物を扱っています。

橋の架け替えと興行街の賑わい(1923~1937(大正~昭和前期))

1925(大正14)年には、戎橋が石・コンクリート橋へと架け替えられます。周辺一帯は興行街としても大きく広がっていきます。浪花座・中座・角座・朝日座・辨天座の「五座」に加え、松竹座、さらに千日前周辺の演芸場や映画館が集まり、難波から道頓堀にかけては、日本を代表する娯楽の中心地として賑わいを見せました。

道頓堀道頓堀川戎橋 大阪名所絵葉書帖 戎橋建築年大正14(1925)年 大阪市立中央図書館所蔵

1913(大正2)年、聯合会ができた年には「珍味屋」が創業しました。今も変わらぬ製法で、白地に赤文字の袋に包んだ天津甘栗を提供しています。

1925(大正14)年には、書道・書画用品の「丹青堂」が出店しました。もとは船場で白生地を扱っていた「升屋」が書画材料を扱う現在の店を興しました。以来、六代にわたって暖簾が受け継がれ、現在では和の趣を生かした雑貨も扱っています。

さらに、1932(昭和7)年には「髙島屋大阪店」が出店しました。日本で初めて全館冷暖房を備えた百貨店であり、東洋一とうたわれた大食堂や、生活用品を廉価で販売する十銭ストアなどでも大きな注目を集めました。戎橋筋周辺は、伝統的な商店街であると同時に、最先端の都市文化を取り込む場所でもあったのです。

大阪・南海高島屋全景/七階サロン大食堂/一階雑貨売場/四階呉服サロン 大阪名所絵葉書帖[1930] 大阪市立中央図書館所蔵

やがて、1937(昭和12)年、日中戦争が勃発し、街のにぎわいに影響を及ぼしました。さらに終戦間際には、難波駅周辺で建物疎開が実施され、東西は戎橋筋から難波新川まで、南北は千日前通から難波駅までの約千軒が取り壊されました。

戦災からの復興と戦後商店街の再生(1945(昭和20)年~1981(昭和56)年))

1945(昭和20)年3月13日夜から14日未明にかけての大阪大空襲では、南区一帯、現在の中央区全域が火の海に包まれたと記されています。戎橋筋商店街を含むなんばの街は、南海ビルや大阪松竹座など一部の建物を残すのみで、ほとんどが焼け野原となりました。

空襲後の戎橋

終戦後の立ち直りは早く、やがて復興から高度経済成長へ。1957(昭和32)年には、難波駅前に大阪初の地下街としてナンバ地下センターが開業し、1962(昭和37)年には戎橋筋商店街にもアーケードが設置されました。

戎橋筋商店街北口 戎橋筋商店街所蔵

このころ、街には新しい大衆文化の熱気も満ちていました。美術喫茶・ナンバ一番は、グループサウンズ・ブームの関西の拠点となり、内田裕也さん、沢田研二さん、和田アキ子さん、浜村淳さんらが活躍し、多くのファンが熱狂したといわれています。

当時の音楽喫茶ナンバ一番 ナンバ一番所蔵

1970(昭和45)年には、若手経営者たちが「えびすばしぐるーぷ」を結成し、商店街に新しい動きを生み出します。さらに1975(昭和50)年からは、新しいスタイルの商店街イベント「ナイトバザール」が始まりました。加盟店が店頭で、いつもの商いとは異なるワゴンセールを行い、客との交流を深める催しで、やがてこれは「えびすばし夏祭り」へと発展します。商店街は、品物を売る場所から、街ぐるみで楽しみを生み出す場へと広がっていきました。

はっすじナイトバザール 戎橋筋商店街所蔵

戦後間もない時期に商店街で創業した店々も、いまでは街の歴史そのものとなっています。「551蓬莱」、「蓬莱本館」、アイスキャンデーの「北極」はいずれも1945(昭和20)年の創業で、すでに80年を超える歴史を重ねています。翌1946(昭和21)年には「ジャガーカバン店」、さらにその翌1947(昭和22)年には「リラ洋装店」が創業しました。

1970年頃の551蓬莱 株式会社蓬莱所蔵

また、外食産業の広がりも、戎橋筋の新しい顔となりました。「マクドナルド戎橋南店」は1979(昭和54)年、「ファーストキッチン難波戎橋店」も1981(昭和56)年に開店し、家族二代にわたって勤務するスタッフがいるという話からも、戎橋筋が世代を超えた商店街であることがうかがえます。

回遊空間の進化、新時代の戎橋筋(1995(平成7)年~2023(令和5)年)

商店街では、1995(平成7)年にアーケードが一新され、新しいロゴとキャラクター「えびたん」が誕生しました。

2006(平成18)年には、南街会館の建て替えにより、なんばマルイと大型シネマコンプレックスのTOHOシネマズなんばが開業し、商店街でも新しい店舗への入れ替わりが進みました。従来の商店街らしさを保ちながら、都市型の商業空間として新たな姿を見せ始めます。

商店街に面して校門のあった精華小学校には、藤山寛美さんをはじめ芸能人や商店街の商人たちも多く通っていました。しかしこの年、65年の歴史に幕を閉じます。一時は精華小劇場として活用され、現在はエディオンなんば店が出店しています。施設の東側に精華小学校メモリアルホールがあります。

精華小学校メモリアルホール

2007(平成19)年11月には、戎橋が現在の丸みを帯びた形に架け替えられ、渡り初め式とパレードが行われました。

平成の渡り初め

2009(平成21)年には、神戸・奈良・なんばを結ぶ阪神なんば線が開通し、東西の人の往来はいっそう活発になります。加えて2012(平成24)年には「とんぼりリバーウォーク」も完成し、商店街の北側に新しい名所が加わりました。

また、商店街の催しも新しい時代に合わせて姿を変えました。

2011(平成23)年には、長く親しまれてきた「えびすばし夏祭り」が終了し、なんばの店や街の魅力を体験する「体験博」へと生まれ変わります。さらに2013(平成25)年には、照明の全面LED化をはじめとする大規模なアーケード改修が行われました。このころから商店街では訪日客の増加も目立つようになり、戎橋筋は国際色豊かなにぎわいを見せるようになります。

ところが、2020(令和2)年には新型コロナウイルス感染症の影響で、通行者数は一時、10分の1にまで落ち込みました。それでも街は再び活気を取り戻し、V字回復を遂げます。

そして2023(令和5)年には、15年の歳月をかけて整備が進められてきた、待望のなんば広場が完成しました。新たなシンボルとなる憩いの場の誕生にあわせ、商店街では、行き交う人々のご縁と福を願って、大型の「えびたん像」も建立されました。

こうして見てくると、戎橋筋商店街の400年の歴史は、時代の変化に応じて姿を変えながらも、人を迎え、にぎわいを育てる場であり続けた歩みだったことが分かります。

新しい時代に合わせて変わってきたものと、変わらずに受け継がれてきたもの。その両方を感じながら、これからの戎橋筋の風景も楽しんでいただければと思います。

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