1923年(大正12年)、関西初の本格的な洋式劇場として道頓堀にオープンした大阪松竹座。
その後、松竹楽劇部(のちのOSK日本歌劇団)の本拠地となり、第二次世界大戦の戦中・戦後は松竹映画、1952年(昭和27年)からは洋画を楽しめる映画館として愛されてきましたが、1994年(平成6年)に映画館としての役割を終えます。
そして1997年(平成9年)に、大正モダニズムを思わせる外観のアーチを残したまま新築開場。演劇専門劇場となり、歌舞伎、松竹新喜劇、OSK日本歌劇団、ミュージカルや落語など、様々な公演が開催されてきました。
大阪松竹座は、戎橋筋商店街をはじめとする道頓堀の街との関わりも深く、様々なところで協力し合いながら、なんばを盛り上げてきました。今回は支配人の秀 邦彦さんにこれまでの歴史や印象深い出来事を伺ってきました。
上方歌舞伎の人気再興のため55年ぶりの「船乗り込み」を
―大阪松竹座では多彩なジャンルの公演を楽しむことができますが、毎年夏に上演される「七月大歌舞伎」は出演者も豪華で特に心を躍らせていました。関連行事の「船乗り込み」も今ではすっかりなんばの夏の風物詩になったなと感じています。

秀 邦彦さん(以下、秀):大阪松竹座は、多い時で年間3~4本の歌舞伎の公演がありましたが、中座に引き続き、「七月大歌舞伎」はいつの間にか定着していましたね。
今ではすべてなくなってしまいましたが、かつての道頓堀には「浪花座」、「中座」、「角座」、「朝日座」、「弁天座」の五座と呼ばれる劇場があり、私たちも大阪松竹座ができる前は「中座」で歌舞伎を上演していたので、上方歌舞伎には特に思い入れがあります。演劇専門劇場として再出発をする際に、大阪の文化的財産でもある上方歌舞伎に力を入れて行こうという方針もありました。

「船乗り込み」は、1979年(昭和54年)に約55年の時を経て復活した行事です。
昭和40年、50年代と関西では歌舞伎にお客さんがなかなか入らないという時期に、当時の「関西で歌舞伎を育てる会」という歌舞伎を愛するみなさんが、上方歌舞伎を応援しよう、古式ゆかしい「船乗り込み」を復活させようと運動を起こしてくださって。
「船乗り込み」は現在も続いていますが、行政や船を運行する海運会社など、いろんな所からの協力があるからこそ開催できるイベントですね。
―戎橋筋商店街でもアーケードに歌舞伎バナーを掲げ、戎橋筋商店街では紙吹雪を仕込むなど、一緒に盛り上げてきました。でも、関西の歌舞伎再興の願いが込められていたことや、歌舞伎人気が落ち込んだ時期があることは、お話を伺うまで知りませんでした。
秀:時代の変遷もあるのでしょうが、その当時は松竹新喜劇が大人気でした。藤山寛美さんという一大スターがいて、道頓堀の「中座」がホームグラウンドでしたが、大阪で休まず公演をやって、東京、名古屋、京都、全国にも巡業に行ってと、大変な忙しさだったと聞いています。

お客さんの熱量を肌で感じた15代目片岡仁左衛門襲名披露公演
―歌舞伎の公演で印象に残っておられる出来事はありますか?
秀:大阪松竹座は平成9年(1997年)に新築開場したのですが、翌年には15代目片岡仁左衛門襲名披露公演がありました。
演目も華やかで素晴らしかったのですが、江戸時代から続く大名跡ですから、お客様の熱量をものすごく感じましたし、その熱量の高さにも驚きました。襲名披露というのはやはり特別感のあるもので、市川團十郎白猿さんが市川海老蔵を襲名したとき、今年の八代目尾上菊五郎さん、六代目尾上菊之助さんの襲名披露なども印象に残っています。
―襲名披露の際には、歌舞伎役者さんが商店にも挨拶まわりをしてくださるのですが、その姿もミナミの花だなぁと感じています。
あとは、三代目市川猿之助(現猿翁)さんのスーパー歌舞伎でしょうか。
古典芸能である歌舞伎とは異なる演出をした歌舞伎ですが、滝のシーンがあれば実際に屋上にタンクを設置して水を循環させて、仮設とは言えないくらいの工事をしました。宙乗りも普通は上に登っていきますが、スーパー歌舞伎では斜めに飛ばすなど、表で演じる役者さんだけでなく、舞台を支える裏方の労力もかなりのものでした。
歌舞伎や演劇の裾野を広げるためミナミの街とも積極的に関わりを
―裏方さんのご苦労があってこその大迫力の演出だったのですね。2011年からは、多彩な商店の魅力やミナミ・なんばエリアの魅力を、体験を通じて皆さまに知っていただこう企画した体験博にもご協力いただいています。「初めての歌舞伎講座」など、歌舞伎について気軽に学べる講座は毎回人気です。
秀:歌舞伎役者さんだけでなく、大阪松竹座の公演に出演される方に、戎橋筋商店街内で流れる街内の公共放送のアナウンスを担当していただくこともありました。
昨年、AmBitiousやBoys beら関西ジュニアのメンバーが、“ミナミ商店街”を舞台に繰り広げる珍道中を描いた舞台『おいでよ! ミナミ笑店街』を上演したときは、戎橋筋商店街でテーマソングの一部を流していただきました。

―偶然通りがかったファンの方が、「あれ?よく聞くとこの声は◎◎さんでは!?」とビックリされているのを見たことがあります。不意打ちで推しの声が流れてくるとうれしいですよね。
秀:歌舞伎を観に来られる方は年齢層も高いので、学生さんや若年層の人々にも裾野を広げていくために、街と一緒にいろんな取り組みをするのも大事なことだと考えています。
『ONE PIECE』など漫画やアニメを題材にしたスーパー歌舞伎でまず歌舞伎に興味を持ってもらってもいい。今年上演されたルパン三世を歌舞伎に仕立てた『流白浪燦星』も評判でしたしね。
そういった新しいことに挑戦しつつも、基本となる古典も大切に、重厚な演目もしっかりやって従来の歌舞伎ファンにも満足していただきたい。そのバランスがものすごく大事だと思っています。
―裾野を広げると言えば、2025年秋に上演された『じゃりン子チエ』が大評判で、普段あまり演劇を観にこられない方もたくさん足を運ばれたそうですね。
今までも大阪にゆかりのある作品は上演していたのですが、『じゃりン子チエ』速報的な感じでSNSに投稿したのですが、反応とリツイートが止まりませんでした。『じゃりン子チエ』を観るために、初めて大阪松竹座に来られた方、あと男性のお客様がとても多くて、作品としてのネームバリューの強さも感じました。
大阪松竹座の客席は1階からエスカレーターを上がって2階に売店、3階に客席があるのですが、初めての方が多いので、客席にどういったらいいかというお問い合わせもすごく多かった。でも、歌舞伎だけでなく演劇の裾野が広がることも、業界としてすごくいいことだと思うので嬉しかったですね。

―ところで、秀さんは昔から歌舞伎やお芝居に興味を持たれていたのですか?
秀:れが、実は歌舞伎を初めてみたのは入社してからなんです。
映画部を志望して松竹に入社したのですが、最初に配属されたのが演劇部で、三十年間ずっとそのままです。演劇部の中で、団体セールス、制作プロデュサーを務め、興行部門で巡業をし、OSK日本歌劇団の制作も何年か担当するなどいろんな仕事を経て支配人になりました。
―OSK日本歌劇団も松竹創業者・白井松次郎の発案により創設された少女歌劇団で、宝塚歌劇団、姉妹劇団である松竹歌劇団と並ぶ日本三大少女歌劇のひとつとして、日本のレビュー文化を牽引していたと聞いています。子どもの頃に何度か観て、群舞の美しさや一糸乱れぬラインダンスの見事さに感動した覚えがあります。
OSK日本歌劇団の春の風物詩「春のおどり」の復活
秀:2003年(平成15年)に一時解散したものの、団員有志が活動を継続することに。そして、縁があって2004年(平成16年)には、1926年(大正15年)に誕生して以来、春の風物詩として人気があった伝統の「春のおどり」を66年ぶりに復活させました。
「春のおどり」は、今でも大切に受け継がれています。NHKの朝の連続テレビ小説『ブギウギ』は、OSK日本歌劇団のOGである笠置シズ子さんがモデルになっていたこともあり、トップスターの翼 和希さんたちも出演していましたね。
―そんな歴史があったのですね。また、戎橋筋商店街でもチラシやポスターで告知に協力したり、体験博でも未来のスターを育てようと「親子で春のおどり観劇」というプログラムを企画したりしたことがあります。大阪松竹座様の取り計らいで、特別室で出演者との記念撮影をさせていただきました。松竹新喜劇の親子観劇プログラムでもバックステージツアーに協力いただいて。参加者にとって格別の思い出になったと思います。
「船乗り込み」といい、「春のおどり」といい、大阪の風物詩が2つもあるとは・・・・。大阪松竹座では、若手アイドルの公演もたくさん開催されていましたが、何かきっかけがあったのでしょうか?

大阪松竹座の舞台が若手アイドルの登竜門に
秀:松竹座は新しい時代の演劇に対応できる劇場にするために、1994年(平成6年)5月に一旦閉館するのですが、そのフィナーレがTOKIOの『See You Again 松竹座コンサート』でした。
以前から東京の松竹の劇場に出演していただくなど繋がりがあったのですが、大阪松竹座でもご縁が深まり、関西ジュニアの公演も手がけるようになりました。
―最初のうちは、戎橋筋商店街のスタッフや近隣のお店の人たちが協力してチラシを置いたり、集客のお手伝いをしたりしていたけれど、だんだんと人気が出てきて、今度は出待ちをするファンの整理を商店街などが手伝ったというエピソードも聞きました。
たくさんの若手アイドルが出演されていたと思いますが、特に思い出に残っている人達はいますか?
秀:SUPER EIGHTですね。今でこそ大人気ですが、空席が目立つ時代もあり、本人たちはすごく一生懸命にやっているのに、二階席も三階席も空いているなんて日もありました。バルコニーから出てくる演出も、「今日は三階にお客さんが入っていないから、その演出はなしで行こう」なんて演出を変更する日も。関西ジュニアの頃からの努力や苦労を間近で見ていたので、今の活躍は嬉しいですね。
コロナ禍での公演もいろんな思い出があります。Aぇ! groupがまだデビューする前でしたが、初めて彼らの冠が付いた公演をすることになったのですが、コロナの影響で開演が1週間遅れ、感染者の増加や行政からの指導もあり公演は全部中止に。私は当時副支配人で、初冠公演だから彼らにはがんばって欲しいと思っていた矢先だったので、とても残念でした。
―仕方ないとはいえ、ご本人たちも無念だったでしょうね。
秀:こちらもコロナ禍でしたが、『Johnny’s DREAM IsLAND 2020→2025 〜大好きなこの街から〜』という、SUPER EIGHT、WEST.、なにわ男子、Aぇ! group、関西ジュニアで無観客生配信合同ライブイベントを開催しました。無観客でもこの配信ライブは反響が大きくて、嬉しい驚きでした。
―大阪松竹座の舞台は関西ジュニアの登竜門と感じておられる方も多く、コロナ禍の閉塞感がある中でもがんばるアイドルを応援し、エンターテイメントを提供してくれたのですね。
ミナミのまちとして、道頓堀川沿いを提灯で飾る万灯祭の献灯を一般市民に呼びかける中で、次第にファンの方が協力してくださるようになりました。こうした行事も、劇場とまちが共に盛り上がることに繋がっているのだなと、嬉しく感じていました。

改めて伺いますが、大阪松竹座は秀さんにとってどんな場所でしょう?
秀:自分が初めてプロデュースしたお芝居『道頓堀パラダイス』を上演したのも、勤めている期間が一番長いのも大阪松竹座なので、やはり思い入れはあります。
松竹の直営劇場は、こちらを含め、東京の歌舞伎座と新橋演舞場、京都の南座の四座ありますが、中でも大阪松竹座は本当に繁華街のど真ん中にあって、近隣のお店の方々が共にミナミを盛り上げようと応援してくださっているのが伝わってきます。
ミナミや道頓堀には、江戸時代から続くエンターテイメントの街たるゆえんのような力も感じています。
―ありがとうございます。大阪松竹座に出演される役者さんがミナミのお店で過ごしたり、お祭りに参加されている姿を見かけたり、お店の方との絆が深いことも、ミナミ独特の風景だなと感じていました。
今まで大阪松竹座が守り、育ててくださった上方歌舞伎をはじめとする大阪・ミナミのエンターテイメントがこのまちと共に、新しい時代へと発展し、引き継がれていくことを願っています。

施設詳細
施設名/大阪松竹座
住所/大阪市中央区道頓堀1-9-19
電話番号/06-6214-2211(代)
アクセス/大阪メトロなんば駅 出口14号、または出口15Bより徒歩約2分、南海なんば駅より徒歩約9分
大阪松竹座公式ホームページ https://www.shochiku.co.jp/play/theater/shochikuza/
壽 初春歌舞伎特別公演 2026年1月7日(水)~25日(日) 大阪松竹座
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フリーランスのエディター&ライター。なんばの劇場に足繁く通うお笑い好き。美味しいものに目がなく、雑誌やテレビでおすすめグルメやスイーツを紹介することも。
