「大阪・なんば」と「映画」――。このふたつのキーワードの結びつきにピンとくる方は、地元大阪の人でも少ないかもしれません。京都の太秦や東京など撮影所を有する街であればイメージしやすいですが、なぜ大阪?しかも大阪を代表する繁華街、なんばなのだろうかと疑問に思われた方も多いでしょう。
しかし、実は大阪、特になんばの街は、日本映画における映画初上映の地や映画興行発祥の地など、日本映画の歴史のなかで重要な関わりを持っています。

この記事では、『大阪「映画」事始め』(2016年、彩流社)の著者でエッセイストの武部好伸氏にご協力いただき、映像や貴重な資料を交えながら、大阪なんばと映画の深い関わりを紹介しています。
映画好きの方、歴史好きの方、それ以外の方ももちろん、ぜひ多くの方に知ってもらいたい情報ばかりですので、最後までご覧ください。

映像で見る映画の街・なんばの歴史

「映画の街・なんば」プロモーションムービー(2020年/戎橋筋商店街振興組合製作)

なんばの中心部に位置する戎橋筋商店街内や周辺には、日本における映画興行発祥の地(現在のTOHOシネマズなんば)や、スクリーン投影式映画の初上映地(現在の難波中交差点)など日本映画の歴史とゆかりの深い場所が多くあり、古くから東京・浅草と並ぶ映画興行の街として発展してきました。明治45(1912)年の「ミナミの大火」や、戦時中の大阪大空襲で壊滅状態になるも、戦後、再び映画街が復興。現在も大きな映画館がある街としてにぎわっています。

映像内でも、なんばが日本映画の歴史において重要なスポットだと解説されていましたが、より詳細な情報を次からご紹介していきます。

日本における映画の初上映地「難波中交差点」

明治29(1896)年の12月初旬に、現在のなんばパークスにほど近い難波中交差点北東のあたりにあった福岡鉄工所という工場で、発明王として有名なアメリカのエジソンが設立したエジソン社販売の映写機ヴァイタスコープで、今の映画の原型となるスクリーン投影式映画の実験試写が行われました。これが日本における映画の初上映といわれています。

当時、とても貴重だった映写機は、心斎橋で舶来雑貨品の輸入商をしていた実業家、荒木和一(あらきわいち)という人が単身アメリカへ渡り、エジソン本人に直談判して装置を購入してきたそうです。

この時に上映された映像がニューヨークの繁華街ヘラルド・スクエアの情景です。無声サイレントのモノクロ映像でわずか1分足らずの短いものでした。

日本映画興行発祥の地「TOHOシネマズなんば」

福岡鉄工所での日本における映画初上映から2か月後、明治30(1897)年2月15日~28日の2週間、南地演舞場(現在のTOHOシネマズなんば)で入場料をとって一般に映画が公開されました。
これが日本における映画興行のはじまりです。

*南地演舞場とは?
明治21(1888)年、豊国神社の御旅所跡地に南地五花街(宗右衛門町、九郎右衛門町、櫓町、難波新地、阪町の遊郭)によって開設。芸妓さんが舞や踊りを披露するところで、明治の末期から栄え、昭和の初めごろには、2000人を超える芸妓を抱える日本最大の花街として賑わいました。
その後、南地演舞場は東宝系列の映画館となり、戦後は南街会館へと姿を変えました。

南地演舞場ではヴァイタススコープではなく、京都の実業家・稲畑勝太郎(のちに大阪商工会議所・第十代会頭)によって持ち込まれたフランスのリュミエール社が発明したシネマトグラフという映写機で映画が上映されました。

リュミエール兄弟

リュミエール兄弟

シネマトグラフは、リヨンのリュミエール兄弟が開発した世界で最初のスクリーン投影式の映写機で、こちらは稲畑勝太郎が若いころにフランスのリヨンに留学をしていた際に、リュミエール兄弟の兄・オーギュストと友人になり、その縁でシネマトグラフを日本へ持ち帰ったというエピソードが残っています。

稲畑勝太郎

稲畑勝太郎

当時の上映プログラムによると、最初に上映された映画は、ニューヨークのバッテリープレイスという駅に列車が到着する映像だったそうです。

バッテリープレイス駅

バッテリープレイス駅

今でもこの歴史を伝えているモニュメントがTOHOシネマズなんばの1階エレベーターホールに残っています。これはTOHOシネマズなんばの前身となる南街会館が昭和28(1953)年に完成したとき、当時の東宝株式会社の社長であった小林一三氏(現在の阪神阪急ホールディングス創業者)が、この地が映画興行発祥の地であることを知り、それを顕彰するために作られたものです。

見逃しがちですが、貴重なレリーフですので、TOHOシネマズなんばへお出かけの際には、ぜひこちらも見てくださいね。

大阪映画産業の勃興地「千日前商店街」

TOHOシネマズなんばの近隣にある、こちらも大阪を代表する商店街「千日前商店街」のアーケード支柱に、三友倶楽部の跡を示すパネルがあります。

三友倶楽部モニュメント

三友倶楽部モニュメント

三友倶楽部前の記念写真

三友倶楽部前の記念写真

三友倶楽部は、明治42(1909)年、滋賀の近江出身の山川吉太郎という人が設立した映画常設館で、ここが大阪における映画産業の原点といわれています。この三友倶楽部を母体にして、山川吉太郎が大阪で初めての映画製作会社を興し、それがのちに大手映画製作会社の帝国キネマ演芸株式会社(略して帝キネ)へとつながっていきました。

山川吉太郎

山川吉太郎

長瀬撮影所全景

長瀬撮影所全景

当時、この帝キネには関東大震災によって罹災した有望な映画監督や俳優が東京から移籍し、映画製作における大阪の文化力発信の拠点となったそうです。
日活、松竹に次いで日本で3番目の映画会社となり、昭和4(1929)年、東大阪市に敷地1万坪の長瀬撮影所を建設し「東洋のハリウッド」とも呼ばれたそうです。

なんばを舞台にした主な映画

日本映画のふるさとである大阪なんばの街を舞台にした名作映画も多くあります。
ここでは、戦後の主な作品を列挙します。

「夫婦善哉」(1955年)
「わが町」(1956年)
「ガキ帝国」(1981年)
「道頓堀川」(1982年)
「悲しい色やねん」(1988年)
「ブラック・レイン」(1989年)
「難波金融伝 ミナミの帝王劇場版」(1993年~)
「大阪物語」(1999年)
「味園ユニバース」(2015年)

いずれも名作ですので、ぜひ気になった方はご覧になってくださいね。

まとめ

順を追って、大阪なんばにおける日本映画の歴史をご紹介しました。
大阪は非常に日本映画との関わりが深く、その原点がなんばエリアにあるということがわかりました。
現在でも、TOHOシネマズなんばやなんばパークス内などに映画館がありますが、歴史を踏まえて映画を観ると、また味わい深いものがあります。
なんばで映画をご覧の際は、街の歴史も思い出して、楽しんでくださいね。

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