千日前通と戎橋筋の道路空間再編から辿る大阪ミナミのまちづくりの歴史と未来

大阪の大動脈と呼ばれる南北を結ぶ御堂筋と、大阪市を東西に走る幹線道路の千日前通が交差する難波交差点。この交差点を中心に歩行者中心の空間再編が進んでいます。すでに御堂筋の一部で歩道は拡張されていますが、ミナミエリアの回遊性を高めるために千日前通も歩道の拡張工事が進められています。

その一環として、御堂筋の一本東側にある戎橋筋と千日前通の交差点も歩行者が道路を渡りやすく改良されます。実は千日前通にスポットをあててみると、過去における再編・整備は大阪の都市づくりの歴史の転換点であったことが読み取れるのです。

そして、昭和の初め、戎橋筋との交差点に大阪市内で初めて設置された信号機のことも詳しく紹介します。

目次

難波交差点を中心とした千日前通とは

千日前通は大正橋~東成区深江までの約7キロメートルの区間の愛称として1969年に制定されており、主に御堂筋や戎橋筋、堺筋といったミナミの中心地と交差する幹線道路です。なんば周辺ではビックカメラやラウンドワン、飲食店などが軒を連ね、地下にはなんばウォークや大阪メトロ千日前線が走ることから、道の上下ともに交通量が多い通りとなっています。

▲千日前通の難波交差点エリア(2023年現在)

歩道が拡張され歩行者中心の時代に

難波交差点の周辺における千日前通は大阪市内の主要エリアに位置しており、多くの商業施設や商店街を利用する歩行者であふれる場所になっています。そこで御堂筋の歩道拡幅と合わせて難波交差点周辺の区間の歩道を拡幅する道路空間再編の計画が浮上し、2022年度には検証と設計が行われ、2023年度から本格的な工事が始まりました。

歩道を広げて安全快適な歩行空間を確保するとともに駐輪場を整えて台数も増やし、歩道の舗装も御堂筋との一体的な景観にあわせて美装化、中央分離帯も修景するなど道路景観の向上にもとりくみます。

写真のように、戎橋筋のアーケード内の舗装のデザインと歩道部分も調和をはかり、歴史的な道筋が表現されます。これらの工事は令和6年夏頃の完成予定です。

▲千日前通における道路空間再編案(大阪市建設局資料)

▲工事中の現在の様子(令和5年12月)

時代に合わせた進化を遂げる千日前通

千日前通は過去2度にわたって拡幅されています。最初は明治時代にあった大火事(明治45年、ミナミの大火)のあと、延焼防止のために22メートルの幅の千日前通が大正時代に整備されました。この火事は御堂筋西側から松屋町筋の東側に至る広範囲にわたり、約5千戸が焼失したと言われています。

千日前通道路空間再編工事リーフレット

時代に合わせた進化を遂げる千日前通

▲「大阪市内電車運転系統図 大正四年十月改正地図」

(1915、地図、本体の書名[大阪絵葉書貼込帳]、大阪市立中央図書館所蔵)

2度目は1970年の大阪万博開催の交通量に合わせて、50メートルの幅に拡幅されました。高架部には阪神高速道路が建設され、地下には近鉄電車や地下鉄千日前線が開通。合わせて四ツ橋筋と堺筋をつなぐ地下街「虹の街(現・なんばウォーク)」がオープンしました。

現在の戎橋筋周辺は平日で約6万人、週末は約10万人を超える通行者数となっています。信号で止まる人が歩道にあふれ走行中の自転車と接触したり、渡り切れない人が道路の中央部分に残ってしまったりという事態が多発。2010年頃からは訪日観光客も増加し、関西空港の玄関駅である南海なんば駅から、観光地の戎橋や道頓堀に向かう観光客が道に迷うケースも増加しました。

そこで今回3回目となる、千日前通の道路空間の再編の中でこれらの課題の解決も盛り込まれました。戎橋筋との交差部分の歩道は2車線分に広がり、今回新たに大阪市により観光案内板の設置も進められています。

▲整備中の観光案内板

大阪市内で最初の新式信号機が戎橋筋に設置された理由

千日前通と戎橋筋の交差点は、大阪市内における国産の(新式)交通信号機の発祥の地とされています。

江戸時代の戎橋筋は船場や南地(ミナミ)から、道頓堀川にかかる戎橋を渡って今宮戎神社にお参りする道筋となり、明治以降は芝居街である道頓堀と、なんば駅前(明治18年に今の南海なんば駅が開設)をつなぐ道として人通りが多い道筋でした。

その戎橋筋を通って広がった千日前通を渡る人と市電や車とが交錯して事故が発生。 そこで戎橋筋と千日前通の交差点に新しいタイプの信号機を取り付ける案が浮上します。当時の信号機は交差点の真ん中に立てる方法をとっていたため、車の交通の妨げになっていました。この問題の解決策として道路の端に柱を立てて、アーム型にした信号機を国産メーカーが開発しました。

そして昭和6年に新式の信号機をこの交差点で試験運用したところ、交差点での事故も減ったことから大阪市内すべての信号機が新式に変更されました。後に新式はスタンダードな信号機として、広く普及することとなったのです。

▲設置当時の新式信号機(昭和14年頃の戎橋筋と千日前通の交差点の南側、提供:大寅蒲鉾株式会社)

▲現在の様子

まとめ

このように歴史ある千日前通は、御堂筋とともに大阪の発展と同じく進化を続けてきました。未来の大阪は車社会の街から、歩行者中心の街へと変わりつつあります。御堂筋の空間再編や、なんば広場のオープンに始まり2025年には大阪・関西万博も開催されます。3回目となる千日前通の道路空間再編も、大阪ミナミの新しい時代を築く上で重要なエリアになるかもしれません。

出典:「KYOSAN CIRCULAR 2022.2」株式会社京三製作所)

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